HP「醜形恐怖/対人恐怖.Archives」休止に当たって。。。   
HP「醜形恐怖/対人恐怖.Archives」休止に当たって。。。


+1+
このHP「醜形恐怖/対人恐怖.Archives」は、-醜形恐怖-を発症した私、管理人「汐華φ(シオバナ)」が
強迫神経症(強迫性障害又、強迫スペクトラム障害)で酷いうつ状態に陥り、引きこもりになったその過程を纏めたHPでした。
96年(平成8年)当時私は16歳で、通っていた高校のトイレの洗面台の鏡に映った
自分の顔や頭髪に酷い違和感を覚え、そのまま不登校になり、学業を断念。
97年の初夏頃から本格的に仕事を見つけ(肉体労働)働き出したが、(醜形症状は有り抑えつつも、仕事は普通に出来ていた。)
そろそろ次の仕事に切り替えようとこの仕事を辞め、自宅で休養している時、以前からの過労からか頻脈性不整脈(期外収縮)になり挙句、過呼吸も伴い全身が硬直。
心臓の鼓動は完全に不規則に脈を乱し痙攣。心臓の脈打ちが、喉仏にまで嫌に響く。普段鼓動(リズム)を意識しない心臓が
自分の体とはまるで別の生き物の様に意思を持って、私の体を乗っ取る様に身勝手に支配し、その嫌らしいエゴを満たすかの様に。

(この時、僅か17歳にして死の恐怖と直面する。『まだやりたい事がたくさんある、死にたくない!』と叫んだ。)
どんな屈強な男も、美醜も、金持ちや貧民、有学も阿呆も、そして地位や名誉すらも人は「」の前では最早既に無意味に化し
何の役にも立たず、ただ呆然と平伏すだけなのである。
〜(この時期から「」や「」とは一体何か又、新聞の三面記事の死亡欄の死亡要因に頻繁に目を通すようになる。)
そのまま自宅から初めて救急車を家族に呼んで貰い、近くの病院へ運ばれた。結果、この事が直接的な私の『引きこもり』になる要因、引き金になった。
(運ばれた病院では「筋肉酵素が高い」と言われ少しく通院したが、体に特別異常は見られなかった。過労か脱水か未だに不明。体がまだ思春期(子供)と言う事も考慮か…。)
自分はそれまでに体が弱い又、内蔵の障害は何ら無かった。寧ろその逆で、体格などは子供の頃から有難くも恵まれていた方だった。
又、この時期から醜形の強迫観念や強迫行動の他に、疾病恐怖死に対する恐怖の強迫観念も強く出始めた。
(急性心筋梗塞脳卒中(主に、クモ膜下出血)、脳腫瘍などが非常に怖くなり〜循環器系やガンなどの直接生死に関わる病気や
難病による植物状態又、時や場所、老若を選ばない急性(急死)の病気、不慮の事件又、事故に遭遇する恐怖

又、食事などに於いては健康食品(青魚や納豆、野菜など)しか殆ど食べなくなる。)
これらの事の総括的な契機で、97年秋頃に初めて隣町のクリニックに通った。(この時は仕事も何も無い自分に対しても、パニック状態だった。)
しかし、徐々に強迫観念やパニック傾向も強くなり、98年、18歳頃からは本格的に名のあるクリニックに通院、確実に向精神薬を服薬し始めた。
(18歳くらいの頃は既に、醜形恐怖の方が強く強迫観念の割合を占めており、苦しくも自身の生活の一部になっていた。)
昼間、外を歩いていても足が地に着いていない様な妙な感覚があり、雲の上をフワフワと歩いているかの様な自律神経が乱れた気分の悪い感触も出ていた。
当時の友達と普通に外を歩いている時や、初めて好きなバンドの歌手のソロコンサートの本番のホール内、その観客席に居る時でさえもその感覚はあった。不整脈もまだ稀にあった。
悪夢では、脳や体の全身の神経が引き攣られ千切れ果てて、脳の血管が破裂する夢で、夜中、驚いて起きると脳漿や体中がズキズキと痛み、本当に辛い時期が続いていた。
醜形恐怖の症状の強迫確認では、顔が埋まるくらいの中程度の大きさの鏡を色んな場所や光の反射の角度に置き
酷い時では、朝から晩まで半日以上(12時間)鏡の中の自分の顔と髪の毛(髪形、髪質、額の広さ)への囚われが続いた…。


+2+
心療内科クリニックに通い続けていたが、醜形恐怖と言う根源には薬や医者のカウンセリングなどは当時の私には何の解決策にもなっておらず
しっかりとした診断名の様なものも思春期(未成年)の私には付けられず、「自分のこの症状にはきっと病名があるはずだ!」と
世の中に取り残された不安感を抱きながら、悶々とした日々を過ごしていた。
18歳(98年)か19歳(99年)かどちらか記憶に違いがあるかも知れないが、その年のクリスマス前の12月頃
等々強く押し迫 って来た強迫観念に発狂し鳥のような奇声を上げ、精神的に限界を感じ完全に音を上げてしまい、美容整形の外科手術をする事に決めてしまった。
日々の脳味噌が破裂してしまいそうな苦しさは、悪さをした孫悟空を戒める三蔵法師の呪文で、あの悟空の頭の金の輪(緊箍児)を締め付けられている様な感じに似ていて
他の誰かに変わってしまいたい!いっそ他の誰かの体と入れ替わってしまいたい!、とさえ思っていたからだ。
この資金を出してくれるのは勿論家族(両親)だった。当時で100万近くしたと記憶している。 この当時は本当に苦しく最終的に家族会議を開いて貰い、結局決定事項になった。
両親や兄弟はあまりに毎日苦しんでいた私の姿を見ていたので、誰も反対はしなかった。 この頃の私は酷く気分が一喜一憂しており、何度も色々な府内市内の美容外科へ
両親と父親の車で連れて行って貰っていた。美容外科を梯子していたのだ。土砂降りの雨の日もあったのを強く覚えている。私を呪うかの様に強く激しく降り
横殴りに車の窓ガラスを雨粒の飛沫が叩いた。施術を受ける美容外科の病院の小さな受付兼待合室には、モニター画面に脂肪吸引や豊胸手術の生の映像が延々と映し出されており
私はグロテスクだと内心感じていたが、隣にいつも居る母親は「気持ち悪い」と既に声に出していた。 美容外科の医師(男医)達は私を見るなり
「する必要性は無いと思うけど…。」と一声を発したら、直様施術の話を滑らかにし始めた。その様子に嫌に奇妙な感覚を持った。


+3+
何処を整形するのか話せば笑われるかも知れないが、普通は目、要するに大きく二重にしたり、鼻、鼻筋を高くする、顎、しゃくれを治す等色々あるが
私は額(おでこ)が広く見える、当時は本当に広いと感じており(額の広さはその「広さ」だけでは一概に言えなく、髪の量や細さによってもそう感じる。)
その額の広さをある程度狭くする事、そして剃り込み部分のM字が気に入らなくその箇所を「自毛植毛」で埋める施術だった。
が、何の因果か施術前日くらいに偶々私が施術して貰うTクリニックの深夜番組がやっており、院長直々にその私が受ける筈の自毛植毛の施術を受けた箇所を
テレビで大写しに映していたのだ。 私は怖くなった。その箇所がどう見ても考えても、継ぎ接ぎだらけのフランケンシュタインの様だったのだ。
こちらは完全に怯え切ってしまい、美容外科で受けた説明や見せて貰った施術の後の患者の写真も全くの嘘に思えてしまい、急遽親にキャンセルして欲しいと願った。
先にお金を振り込んでいたのか中々キャンセル手続きが上手く行かなく、母親は溜息を付いていたが漸く手続きが了承された。
私はまだ未成年の子供で、出来る事と言えば怖さに震える事だけだった。

これ以来、パタと美容整形の観念(顔や形を変えて、誰からも受け入れられてやる!が、当時の私の口癖だった。)が薄れ、それらの病院に通う事は無くなった。本当に感謝している。
一歩間違っていれば施術を完全にしていたと思うし、いや怖がりの私が言うのも何だが、本当に施術はこの一件が無くても辞めていたのではないかと今になって思ったりする。
だが、本当に感謝している。所謂、強迫性障害(神経症)は人の根源的な問題から発生しており、その根源の根本を見抜いていかないと改善の方向には向かっていかないと感じている。
これらは全て個々の「性格」から来ていると思うが、それを中々変える事が出来ないから苦しむ、この悩み苦しむ姿こそが本来の「人間」の姿なのではないかと思う。
美容整形をしてしまった人の後悔も心は何度でも改めていく事が出来ると思うし、していない人も毎日何かで心を改めながら生きている筈であり
日々前向きな心を取り戻しながら日の射す方向(前)へ進んで行く、結句人生とはこれしかないのである。


+4+
97年の17歳の初夏頃から、小さなメモ帳に日記を取る事をしだしており
次はCampusノートと、実に01年の21歳の夏頃までの4年間
日記をコツコツと取っていました。(飛んだ日や、書き殴った日ももちろん有り。)
書き出した切っ掛けは別段、具体的な物ではありませんでしたが
何時かしらそれは、本格的な苦悩日記と成り果てていました。
18歳〜21歳の春頃までが、とんでもなくドン底でした。
21歳の夏でノート日記が終結したのは、続けていた抗うつ剤の御蔭か?
それまでの酷い鬱状態が治まり、一時期の躁状態 になったからだと思います。(この辺は、因果関係不明。)
そのノートはKOKUYOのCampusノート、ルーズリーフ等にして計5、6冊分くらいで、今でも取ってあります。
又、当時は外に出辛い悔しさ、日の光や季節の移ろいすら生肌で感じる事の出来ない辛さを、自分の自室の窓から見える
「外界の景色」(空や街並み)を通年単位で、安物のフィルムカメラで撮ったりして紛らわし、常人を装っていました。〜

(それらの写真も、アルバムに取ってあります。)

今度はノートからネット日記へと移り、01年秋〜04年中頃まで
レンタル日記等で書いていました。この時は酷いうつ状態は、大分治まってはいた。
(01年は自作のHP内、02年〜03年は特定のレンタル日記、04年は大型メンタルサイト内のレンタル日記にて。)
HPも01年秋頃に作り、その延長線上でこのHPを最後に作りました。


+5+
皮肉にも、このHPが完成した03年6月15日 午後5:00頃(当時表記。)
から2ヶ月後くらいに、本格的に精神科病院に医療保護入院
なってしまったのです。入院の理由は長くなるので割愛。(03年8月初旬〜12月下旬頃まで。)
精神科への初めての入院は、01年の4月頃に精神不穏になり、任意入院
2日くらいの経験はありました。入院した病院は二箇所とも同じ、遠方の病院です。

この経験後、自分の心中でガラッと変わった感情が芽生え
そして「醜形恐怖で精神科に入院」と言うHPや体験談は、他に見た事が無いと思い
それを追記せねばと暗中模索して、殆ど何も成せぬまま今日にまで至りました。

それからは、05年には兄までも精神科に通いだし
解放方向に向かっていた自分が、再びイライラや鬱に陥り
06年、07年と精神科短期入院を強いられました。
この時期に丁度、胃潰瘍、十二指腸潰瘍を経験しました。


+6+
私は03年に精神科で、強迫性障害と診断されています。醜形恐怖と示唆される診断も受けました。
当時の醜形恐怖による強迫症状は主に、髪の毛(細さ、柔らかさ、量、分け目の薄さ等。)・額の広さ(広さ、剃りこみ部のM字等。)
若禿げへの恐怖(明日禿げるんではないか等。)・(奥二重、細く鋭い目つき等。)・(形、大きさ等。)・体毛(濃さ、多さ等。)や
自分に当たる光(日光、蛍光灯の明かり等。)への恐怖又、光で作られる自分の影の形等への囚われ。身長(身の丈、背丈等。)に対するコンプレックス等でした。
(19歳当時、病院の身長測定で166〜7cmだった。)又、他に同じ強迫観念として、疾病恐怖等もあった。(森田神経症で言う、ヒポコンドリー性基調。)
その後は、囚われの部位の変化や増加がありました。(減少は殆ど無い。)
もちろん少なからず、社会的な面でのコンプレックスもありました。(学歴等。)


+7+
さて、このHPは開設から9年が経ちました。流石に更新も殆どしないまま
10年も放って置けないなと、かなり前から考えていました。
事実、9年前にリンクさせて貰っていたサイトも次々と無くなり
ここへ訪れる人も、今では一ヶ月に0人の日もある様で…。
9年間でのカウンターのヒットが「17000」は我ながら少な過ぎる…。
当時、私が書いていたレンタル日記等も次々と消え、WayBack機能で
蘇らせてはいた物の、殆どの記事が既に読めません。
口惜しい気もしますが、仕方がありません。
読み物は、来訪者あっての物。今ではHPが廃れ、Blog果ては
Twitterなどが主流になっています。

04年頃から、自分の事、周りの環境などが、目まぐるしく変わりました。
改めて今、23歳当時の自分が纏めた記事を読むと、恥ずかしい物があります。
(記事内容が希薄で理知的に欠け、殆ど感情論で書かれていたり…。若く、青い。)
読み物にした自分の事実の過去でさえ、時代の流れに発展淘汰されて行くのも悲しい…。

いつかきっと、落ち着いた時期が来れば、自分にとっての
醜形恐怖」を纏めたいと思っています。出来うる限り、最初期から。。。
私自身の当時の記憶が、後どれだけ持つ事やら…。
(最近は、ネットで自分の発言の足跡を残すのが億劫でもある;)

今までこのHPを、ブックマークなどで長年に渡り登録閲覧して
頂いていた方々、検索などで訪問して頂いていた方々等に、深く感謝致します。
その方々達に、何らかの「手助け」が出来ていたのであれば、此れ幸いです。
このHPもこの9年間で、「経験談」または「体験談」としては、ある一定の役割を果たせたかと自負しています。
直接メールを頂いた方々等も、有難う御座いました。
(アドバイス等では、私が有りの儘の辛辣な事を書いて、不快な思いをされた方も居られると思いますが
これが私の経験して来た「事実・現実」です。しかし、「希望」はあります。)

ではまた、その日まで。。。

2012年(平成24年) 1月10日(火)晴れ pm9:00頃書記。(後日、加筆修正有り。)
管理人 汐華φ(1980年~昭和55年生まれ~ 性別/男性 出身地/大阪府)

管理人へのメール等は、こちら
〜管理人は、『何とか』生きています。〜

(他サイトからの各種リンクで来られた方等も、何卒ご了承下さい。)


-注釈-
*管理人は97年末〜98年初頭に、初めてネットに繋げる。
(当時はMacPerforma、PowerMac辺りを使用。本格的にネットの世界に参入したのが99年、Windows98から。)
*このHPは、前身のHP「First Step」が母体。(URL参照)
*タイトル「First Step」は、イギリスのロッド・スチュワート(vo)率いるロックバンド「Faces(Small Faces )」の1stアルバム名から。
*HPタイトルの「ARCHIVES」とは、NHKの番組名から。
*HNの「汐華」(シオバナ)は、当時、文庫版で読んでいた荒木飛呂彦の漫画「ジョジョの〜」の第5部の主人公の本名から。記号「φ」(空集合)は、無属性の意。
*管理人の学歴は、高校中退。(97年(平成9年)4月中退。) 高1までは籍を置く。この頃は、対人恐怖の症状も強く出ていた。
(2学期〜3学期は殆ど不登校状態。楽な授業の曜日にだけ出席し出席日数欠如、欠点やテスト白紙状態提出等を経て、自ら退学届けを書き、自主退学。
当時、府内での中の上くらいの共学の進学校だった。実は、事実、辞めた理由は他にもあった。)
*文中、「若禿げへの恐怖」とありますが、事実、恐ろしい事に、98年〜03年夏までの計5年間、在宅時の就寝時以外の時間は常に頭に、手拭いかバスタオル等を
巻いて、隠して過ごしていました。(03年、二度目の精神科入院を機にやっと取る事が出来た。) 98年の初期頃は、自分の下着(アンダーウェア)を被って隠していた時期さえあった。
*AC(アダルト・チルドレン)等に関してはあまり深く理解追究、究明して来なかったが、そうだと感じた時期もあった。(私が家庭内暴力を起していた時期。)
しかし、醜形とは「神経症」であり、その性格の原因や根源は「自分自身」にあると痛感し、結句逃げ道など無く、終末そう思わざるを得なくなった。他に、エディプスコンプレックス等も。
*家族構成は実家で、実父/実母/実兄/私/外祖母の5人構成。(特別仲が良い訳ではなく、特に幼少期から父親が好きになれず、長らくの間殆ど会話が無い、家庭内別居。
母も性格が好きではない。兄は高卒後成績優秀で某大企業に就職していたが、引きこもり状態が酷かった頃の私に、時折虐め行為をして来た時期があった。
外祖母は80代後半の後期高齢者で、2010年辺りから認知症の症状が強く出始め、お風呂等は私が介護する時もあった。本当に15年近く、こんな生活に良く耐えて来られたと思う。
*HP開設から数年後にお手紙を何通か頂きましたが、性別では女性が割合を占めていました。(当人さんや、親御さん等。)
*HP開設当初、フジテレビジョン(fujitv)さんからの直接のメールがあり、「FNNスーパーニュース」の醜形恐怖特集(予定)の報道内での、出演依頼もありました。(丁重にお断りしました。)


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