+目次+

■醜形恐怖・解体新書■

├1.□ 96年、醜形恐怖の発病

├2.□ 97年、高校中退後、一時バイトへ

├3.□ 97年夏、バイトでの過労の不整脈

├4.□ 97年秋、初クリニックと一通の手紙

├5.□ 98年、引篭り本格的な醜形恐怖へ

├6.□ 99年、ネットと社会的焦り、バイトの再面接始動

├7.□ 00年、完全引篭り

├8.□ 01年、閉鎖病棟経験と運命の日

├9.□ 02年、本格的な外出と自己管理への計らい

└10.□ 03年現在の自分





□醜形恐怖の発病□

-前書き-

醜形恐怖とはとてつもなく、肉体的に精神的に極限の絶望を
「鏡」から繰り返し味わう、心の奥深い闇に閉ざされた病である。

例えばそれは、公園のベンチで休んでいたら、恐怖に胸を抉り取られる様な...。


僕は少なからず、対人恐怖ではあった。 人付き合いが苦手で、余程の信頼があって大人しい 男の友人でないと、中々友達になれない人間だった。 しかし小学生の時は、違った。 僕は少し自惚れがあった。 小学生のときは、背が高く細っりとしていたので 少なからずもてたりしていた。
 
その当時僕の家の家庭環境は最悪で、親父と絡めば一触即発状態。 親父は無口な一方、暴力的な発言や、手を上げて来る人だった。 こんな親にはなりたくないと、いつか心で思うようになった。 俺に腑は無いのか?と言われれば、少なからず反抗期という面も あって、自分の意思を親に訴える時期でもある。 それが話し合いで 済めば良いのだが、暴力になると周りは中々止められなくなる。 力では勝てないので、僕は震えながら「包丁」を持って 言い争っていた。 決して、自己防衛の為であったと思う。
当時、親父は仕事をバリバリする人間で、家庭はほったらかし。 親父と喋った、会話した記憶は少ない。 体格も大きく、180p 前後はあったと思う。 夫婦喧嘩の時だって容赦なく女に暴力 を振るう人だった。 ドメスティック・バイオレンスというのか。 それを見て育った俺は、機能不全な精神状態になった。 それが 丁度、思春期〜青年期に掛けてと思う。
その「親父みたいになりたくない」という観念から 完全で居たい、完璧でありたいと言う思考が外見に 現れたのだと思う。12歳くらいの頃から髪型に拘ったり そういうのは良く覚えている。

16歳になり、望んでいた進学校に合格したが、対人恐怖 がかなり強く出ていた。 同い年の女の子、同い年の男の子 みんななぜか、自分より「若く」見えたのを覚えている。 何故だか知らないが、自分が一人だけ浮いてて周りの生徒が 自分より若いとしか感じられなかった。 それが過って 人と話せなくなった。 そうなっていった。

それは自分の容姿が過去のようにかっこ良くないから 受け入れて、話してくれないのだと思い込んでしまった。 そこからは、不登校になり楽な授業しか出席しなくなった。 この当時もやたらと髪のセットに拘っていて、神経症になっていた。
先生や、数少ない友達から心配してくれたりしたが 僕は精神的にギリギリのラインで通っていたので、楽な 授業が過ぎれば、完全に不登校になった。

とある日、数少ない友人の子を下校を一緒にする為、廊下で待って いて暇だったので、トイレで鏡を見た。 それが、僕の「醜形恐怖症」の 始まりである事ははっきりと、今でも記憶の片隅にある。 顔が歪に見え、髪の毛は薄く見え、目は気持ちの悪い目つき に感じた。 他人と必死に比べても明らかに他人の方で 顔も生き生きしていたし、その差には愕然とした。 僕は、「生きるには老けすぎた」と16歳で絶望を感じた。

当時、そのトイレの鏡を見て何故、そう自己嫌悪に陥ったのか 分からない。 今でも分からない。 満足行きたい、もっと美しく なりたいと切実に願った。 顔が満足の行く完全なものだったら スベテ上手くユクンダ...ト。 そして僕は出席日数欠如と欠点で 高校を辞めた...。


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