□17歳のバイト□

高校を辞めてから、一時ボーっとしていた。 開放感と焦燥感が体中に漂っていた感じを覚えている。 まだ外の季節は冬で、4月と言ってもまだまだ寒かった。 「高校をどう辞めたかについて」

俺は、高校というものは勉強する場と考えてなかった。 昔から、私は音楽が好きで特に「リズム」が好きだった。 16歳からドラムスを習いに行っていて、神経症が少し マシになった今も、其処に通っている。(2003現在) しかし、その高校は「軽音楽」を売りにしていた割には 全然、クラブ自体がパッとしていなかった。 それを聴くと 昔不良が集まって「音楽というもの」をせず、楽器を適当に 扱って壊して、滅多糞だったらしい。 そういうクラブに 学校は金を費やさないし、認めない。

その御蔭で、俺は勉強もクラブも楽しめなかった。 よく両親に、「俺はクラブで家に帰ってこない日が多くなるから」 などと皮肉を言ってたが、それが裏目に出たショックは 当時の心の許容量からして計り仕切れなかった。
軽音楽にしては文化祭で、BOφWYの「B.BLUE」と「MARIONNET」 ジギーやルナシーのお化粧バンドの曲を殆どリハ無に叩いた。 終ってから、面識の無い男に握手をされたのを覚えている。 当時、舞台衣装は俺だけ派手だった。(スペンサーみたいな着てた) それで満足して辞めたのかも知れないが、人間とは心残りがあるものだ。

とりあえず、俺の家は引越しをする事になった。 1997/5月だったと思う。 借家住まいが始まるまで 俺は簸たすら、ボーっとしていた。 家の引越しの手伝いはしたものの。
借家に移り住んだのが、5月。 そこから借家に慣れるまで そう時間は掛からなかった。 新しい場所が好き。 当時、ラジオを付けたら「スピッツ」の「夢じゃない」が掛かっていた のを鮮明に覚えている。そこの借家は屋上がテラスになっていて、物凄く景色がよかったし洗濯物もよく乾いた。 民家が並ぶ迷路のような工場が多い町だった。朝から金属加工する音、薬品の臭い、ゴムの臭い。 三階建てだった二階は、特に大きなガラスドアが備え付けられており そこからの景色は、人の行き交う一日が見送れた...。曇りの日も、雨の日も。

7月にやっとバイトを見つけた。広告で、運送会社のバイト求人 が入っていた。 18歳未満お断りだったが、突き進んでいった。 とは言うものの、違う高校の中学が同級だった子を誘った。 結局俺は一人では何も出来ない、臆病の男だった。 対人恐怖。 電話は俺がした。

そこで3ヶ月弱、重度の肉体労働を課せられた。 広告には「誰にでもできる仕事ですと」....。 汗が滝のように出て、紺のバンダナを鉢巻変わりにして 仕事をこなしていた。荷物の仕分け、郵便の仕分け、倉庫の臭い、タイムカード。

流石に疲れた。 バイトの契約期間が終わり10万そこそこ 稼いだ。 初めてのバイト。 好きなものを買い、その中で 買った革靴は今でも履いている。 親にもプレゼントした。 どうだ!っていう子供的な純粋な発想でね。

この当時は、神経症は完全に治まっていた。 それよりも、希望に燃える明日と、自立心が僕には 漲るほど有った。ここでは結論にならないが、神経症所謂 ノイローゼは、何か他と混じって一念に集中する事によって 多少薄らぐという感じに思える。

人生で一番痩せたのがこの時期だろう。 170p前後で、50kgくらいだったと思う。 顔が滅茶苦茶痩せていた。 自我に目覚めていて しきりに自分の体や顔をビデオカメラで撮って 何度も自分という存在を自分の目で確認していた。

その安らぎも長くは続かなかった...。


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