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救急車で運ばれて、何週間か、月一回か
近くの大学病院へ通っていた。 そこでの病名は
「筋肉酵素が大幅に増幅している」という事だった。
当時、17歳の俺は何のことやらで訳も分からず
自宅療養していた。 発作を起したのは1997/9月。
当時は、インターネットが無かったのでノートに手記している。 僕は高校を辞めて、借家に住んでいた頃から日記をほぼ 毎日書いていた。 皆、まだ学生やってんだろうな...と。 いつも、切ない気持ちで屋上のテラスから遠く思っていた。 17歳の頃...僕は普通に外出できた。 何も怖い物なんて 無かった。 しかし僕の性格と勢いが有り余って 年末に親といつも、進路の事で喧嘩をしていた。 徐々に僕は、自分を生かす場所と自信を失って引篭っていった。 その不安発作で「今、直ぐ死ぬんで無いか?」と気が狂って 親がタウンページで捜した、クリニックへ電話。 隣町の近くの小さな、クリニックへ初めて足を踏み入れた。 ほとんど、人気の無い小さな病院だった。 医師の診察では「自我」に目覚め始めている。 「思春期で自律神経が乱れている」...などと診察され 脳内の物質の事も詳しく話してきたが、俺には興味が無い。 細身で目がまんまるな先生だった。 処方された薬は粉薬(頓服)のようなモノだった。 飲んだら、全く酷いもので感覚が余計鈍った。 僕は母と歩いて帰るとき、まっすぐ歩いて帰れなかった。 人というものはホルモンや物質一つのバランスが崩れると 「死んでるように生きてる」感覚になる。 足が宙に浮いたという 言葉がどうやら適切らしい。 *付け足し* この頃の、僕の外出は唯一の友達のピアノの 習い事だけだった。しかし、僕はKbという雑誌で 当時バンドのメンバー募集をしていて、当時高校生 だった、絶対音感を持つY君と知り合う。ピアノを弾く彼 を見て、当時物凄い衝撃を受けた。YMOが好き...。 長い付き合いで、度々関わり合いをさせて貰ったが 2001年、10月に病気の事を打ち明けて離れ離れになった。 向こうが気を使ってくれたのだろう。 |
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